ぶらり見て歩記 | 石の宝殿(兵庫県 高砂市)
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“アカ”
子どもの頃、私達の地域のお祭りですぐに浮かんでくるのは、“アカ”だろう。お神輿の前について、お神輿 の先払いをする天狗のような姿をした神様のお使いである。 その年の当番地域に当たっている者達が、若者組と壮年組に分かれてお神輿を担ぐのだが、当番の“ア カ”は六尺棒を持ってお神輿の先導をする。りっぱな天狗面をつけ、赤い着物のような上衣の袖口は黒布で 縁どられ、下衣はもんぺ風で地域別に柄が違っており、これによってどの地域の“アカ”か見分けがつく。髪 は、赤茶色のものと黒色のものがある。長い髪で、後ろ髪は膝裏まで届くほどあり、走ると前髪はパッパッと 舞い、後ろ髪はユッサユッサ揺れ、唯でさえ恐ろしげな風体に迫力が加わる。当番の“アカ”は、さらに赤い上 衣の上に緑色で蚊帳地のような布を羽衣風にふわりとつける。 神事の流れの中で、若者組の担ぎ手達が「アカよー」「ボロよー」と囃し立て、“アカ”が怒って若者達を追い 回し、捕らえられた若者は六尺棒で形ばかり打ち据えられる。“アカ囃し”と呼ばれるものだが、練り場横に設 えてある簡単な能舞台で演じられ、その後お神輿の練り合わせがあり、神社奉納となる。 この頃の生石神社では見られなくなったが、昔は生石神社でもたくさんの人々がお弁当もちで山に登り、山 の斜面でお弁当をつかいながら一連の神事を見物したようだ。 お祭りの盛んなところでは、今でも桟敷席がご馳走をどっさり持ち込んだ人々で埋め尽くされているが。 お祭りの神事やその意味など全く知らなかった、またそういう事に関心もなかった子どもの頃、“アカ”のみ を楽しみにしてお祭りを待った。 当番用のりっぱなお面や衣装の他に、何着もの“アカ”のお面や衣装がそれぞれの地域の集会所に保管さ れており、若者達がこれを身につけ町中を回りながら子ども達の相手をしてくれた。神事の“アカ囃し”の流れ だったのだろう。 赤ちゃんが“アカ”に抱っこしてもらうと丈夫に育つといわれ、小さい子をもつ親は、自分の子どもをこの“ア カ”に抱っこしてもらいたがった。 早く学校を終わらせてもらって帰ってくると、食事もそこそこにお祭りのお小遣いを握って飛び出していく。神 社にお参りに行った後、子ども達は町角でかたまって“アカ”の来るのを待つ。 すばしっこい男の子達が偵察隊となって様子を見に出掛け、「○○のアカが来たぞー」と情報を持ち帰って くれる。遠くの方に赤い衣装を身に着けた“アカ”を認めると、胸がどきどきしたものだ。追いかけられても逃げ られるだけの自分の距離を見計らい「アカよー」「ボロよー」と囃し立てながら、サーッと逃げる。そして物陰に 身を潜める。 捕まったところで、男の子なら拳骨で頭をゴンとやられ、女の子ならお面を顔近くまでぐっと寄せられるだけ のことなのだが、これがスリル満点。 時々“アカ”がお好み焼き屋さんなんかに入って昼食をとっていると、偵察隊がこっそり覗きに行き、お面や 面ずれ防止用の手拭いをとって食事している“アカ”の正体を見破ってしまう。「○○の兄ちゃんやった」という 情報にほっと安心するのだが、食事が済んでお面に衣装を整えた“アカ”は、すぐまた異次元の世界の人と なり、恐ろしげな雰囲気を漂わせる。 神社へお参りに行った時に買った屋台店のおやつをぶら下げながら、日がとっぷり暮れるまでこうして“ア カ”を待ち遊んでもらう。たっぷり遊びまわった後、真っ暗になってしまった辺りのどこかから金木犀の香りが 漂ってくるのを心に留めながら、家路を急ぐ。暖かい家に帰り着きほっとすると、今日何匹“アカ”を見たかを 自慢げに話すのである。 お祭りが終わってしまった後も、しばらくの間は髪の長い赤い服を着た女の人を見かけると、“アカ”だッ!と 思ってハッとすることがしばしばであった。 娘は今も、「アカ、怖いなぁ」と。 〜Unknown (ゆめや)さんのブログより〜 (C)Art.Kaede |
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